2004年7月12日月曜日

なぞなぞ「河童の大好物“尻子玉”とはどんなかたちをしているのでしょうか?」



水の妖怪、河童。河童は水の中に人を引っ張り込み、尻の中に手を入れて尻子玉を抜くという悪い癖がある。これをやられると人はふぬけ状態になってしまうという。尻子玉とは、いったいどんなかたちをしているものなのでしょうか?

西原理恵子先生の漫画でおなじみの尻子玉だが、長く「イボ○」みたいなものだと思っ てました。ところがそうではない。宝珠と言おうかタマネギみたいなものだったのです。今朝の日経で武蔵野大学教授のアダム・カバット氏が十返舎一九の黄表 紙『河童尻子玉』の挿絵を紹介している。ありゃ〜、認識間違っていたなあ。これ↓

うつぶせになっている男は犠牲者。可哀想に、ふぬけ状態。河童の方は尻子玉の臭さがたまらなくて、顔を背けている。でも大好物なんだろう?

きっと河童にとっては「クサヤ」みたいなもんなんですね。

2004年7月6日火曜日

パワーポイントの功罪



昨日の日経夕刊「あすへの話題」で総合地球環境学研究所長の日高敏隆氏が「パワーポイントの功罪」と題して書かれている。どうもプレゼンテーションが直接的すぎてよくないのではないかとのご趣旨だ。アメリカの伝統的なインテリの間にも「パワーポイントはちょっと……」という人もいる。散人はとても耳が痛い。下手なプレゼンテーションをパワーポイントで誤魔化すというのが常套手段だったからだ。それだからこそ、パワーポイントの弊害も熟知しているのである。

パワーポイントの弊害は、内容のない下手なプレゼンテーションでも一応格好をつけてしまうことにある。今はもうそのようなことが少ないだろうが、10年ほど前まではパワーポイントを使うととにかく珍しさが先に立ち、聴衆をなにか妙にわかったような気分にさせてしまうことが出来た。しかしどうもそれは空虚なパフォーマンスだ。たしかに資料はたくさん出てくる。図表とか写真とか、これでもかこれでもかという具合。そのときはなんかわかった様なつもりになるのであるが、後に残らない。

散人も多くの講演を聴いたが、いまでも印象に残っている講演とは、決してパワーポイントを使ったものではなかった。一枚の資料も使用せずに話だけという講演が一番インパクトが強かったのだ。もちろん話し手の力量と内容が講演を印象深くしているのだが、同じ話でもパワーポイントを使えば印象が浅くなったと思う。

理由を考えると、パワーポイントを使用することによる話の流れの細分化が原因のようだ。パワーポイントを使うと1単位3分間の小話を数十つなぎ合わせるというかたちにならざるを得ない。話に大きな流れを作ることが難しいのである。3分間の小話は所詮3分間の話である。

良い講演とはだいたい話の流れが30分単位になっているようだ。話の流れに大きなうねりがある。漱石なんかはこの30分がもっと長くて、最後の方に行くまで準備期間という感じである(漱石の講演録は読むと面白い)。ところがパワーポイントじゃどうしても分断されたばらばらの話の継ぎ合わせという印象になるのだ。

だから講演の練習をしようと思えば、パワーポイントは使わない方がうまくなる。ただ、いきなりやると格好が付かないかも知れない。だからパワーポイントが流行る。

まあ、誰もが講演の名手になることもないわけだが、上司がプレゼンテーションをすることになったと言って、その度に担当者が夜遅くまでパワーポイントの資料作成作業をするということがもしあるのなら(あるんじゃないかなあ)、パワーポイントのおかげで会社全体の生産性は相当低下していると言える。